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ちょっと暗いとこで撮ったら結構コワイなこのメイク…。
都内某商店街にて年に2回行われるお祭り。こうして僕がクラウン姿に扮して風船で作った犬だの花だのを子供たちに配るようになって早や5年。
子供たちの嬉しそうな笑顔に出会うと「ああ、今年も来られてよかったな」と思います。
まぁ、こんなメイクですから小さなお子様の中には見た瞬間怖がる子もいます。でもそんな子がしばらく見ているうちに少しずつ近づいてきてくれてやがては僕から風船ワンコを受け取ってニッコリするなんてことも。僕はここでは普段の仕事とは真逆で一切喋らないキャラクターとして演っているので、パントマイムとジェスチャーですべて表現しなければなりません。大変ではありますがそれはそれである種表現の訓練にもなっています。
ところでこうして路上パフォーマンスをやっていると、色んな物を頂くことがあります。
わたあめを差し出してくる子供(メイクの色がついてしまうので食べるわけにはいきませんが)や、ポケットに千円札を捩込んでくるおじさん。そしてなぜか今自分が買い物してきたものをレジ袋ごとそっくりそのままくれちゃうおばさん…(´▽`;)袋の中には電子レンジ用タッパー、台所用フック、電気コードをまとめるケースが入っていました。…おばちゃん、あなたはどうしてそんなものをピエロにくれてやろうと思ったのですか…?
それにしてもこの街は本当に人情味にあふれているなぁといつも感じます。
大人たちが地域ぐるみで子供たちを育てている様子で、みんな仲が良い。なんと言いますか、懐が深いといった感じでしょうか。
僕も年に2回だけ、だけどしっかりこの街の仲間として迎え入れて頂いているような気がします。
子供たちにとっては毎年来てる正体不明のピエロさん。ここでのパフォーマンスはこの先もできるかぎり続けていきたいと思います。
いくら傘さしてたって足元はぐしょ濡れ。
とまぁそれはさておき。
今日の夕飯は鶏肉と野菜をジャジャッと炒めて食べました。塩だれが一本あるとマァ便利♪(^▽^)最近お気に入りの調味料です。
ところで。
パプリカって野菜がありますよね。甘みもあって彩りも鮮やか、血液サラサラ効果もあるとのことで結構好きなんですが。
そんなパプリカを鶏肉やキャベツと一緒にフライパンで炒めながらふと思ったのですが。
パプリカの「赤」と「黄」は栄養成分において何か違いがあるのでしょうか?
ほら、野菜ジュースなんかで赤い野菜だの黄色い野菜だの緑の野菜だのって商品化してるのがあるじゃないですか。
パプリカの色による違いはあるんでしょうか?
教えて!野菜博士。(゜▽゜)
最近学校で、演劇界における滑舌訓練の金字塔『外郎売』(「ういろううり」と読みます)を学生達に暗誦してもらっています。
『外郎売』というのは歌舞伎十八番の中の一つで、その演目の中のいわゆる物売り口上のくだりが発音しづらい音の羅列を含む長ーい台詞となっており、俳優の発音・滑舌の訓練に多くの場で使われているものなのです。「拙者親方と申すはお立合のうちにご存知のお方もござりませうが・・・」と始まるのですが、まぁとにかく長い長い口上(実際に僕が歌舞伎座で観た時には一つの長台詞ではなく、分割されていましたが)なので、ここにすべてを書き記そうとは思いません。それに、これに関しては演劇の教本によって相違点がここかしこに見受けられるのです。
さて、僕は学生に、言葉を文字として記憶するのではなく意味として捉えて、頭で覚えるのではなく身体に入れろ、と繰り返し言っているのですが、彼らの暗誦を聴いていると、高校までの暗記物中心の勉強の仕方に慣れているためにこれに関しても「暗記物」と捉える傾向があるらしいことが明確に伝わってきます。
これはむしろ詰め込み教育を中心に行ってきたこの国の教育に対する姿勢に起因しているのではないか・・・なんて大きなこと言っちゃったりなんかして(^-^;)
とにかく間違えるにしても間違え方が笑えます。
前半にこんな部分があります。「(前略)・・・魚鳥きのこ麺類の喰い合わせ、そのほか万病速効あること神の如し・・・(後略)」
「外郎」という薬を売るための口上ですから、その効能を語っているわけです。魚も鳥もきのこ類も麺類も、どんな喰い合わせをしても大丈夫、そのほか色んな病気にも効果抜群だよ、ということです。
ここを「魚鳥きのこ麺類の組み合わせ・・・」・・・定食屋か?トッピングはきのこで、ってか?
まぁ、このくらいの間違いはかわいいです。
また、後半にはこんな部分があります。「(前略)・・・この外郎のご評判、ご存じないとは申されまいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に・・・(後略)」
ここだけとっても分かるように駄洒落や付け足し言葉が頻繁に登場します。「申されまい」と「まいまいつぶり(「かたつむり」の意)」をかけていたり、「棒出せ」の「棒」から同音異義で「ぼうぼう眉」の「ぼう」へとつないだり。
ここを「ご存じないとは申されまいまいつぶし」。・・・( ̄▽ ̄;)潰しちゃった。ぐしゃっと。あーあ。かたつむりさんかわいそう(ToT)
まぁ、この間違いもこれはこれでかわいいです。
それにしてもついついその絵面を想像してしまうと面白くって噴き出してしまいます。
とにかく覚えたからOKという認識にならないように、日本語の持つ情緒と可笑しみ、自分の中にテキストを持つことの大切さを知って頂けたらなぁ、なんて願っております。
例えばAさんと話しているときにBさんに関する良くない話が出るとします。「Bのやつぁとんでもない野郎だ」というAさんに対し、「まったくだ。だいたいBってやつぁ・・・」と同調するのは楽ですが、こういうときにはBさんがAさんにそう思われるようになった理由が何かあるはずだと思いますし、Bさんにも何かしらのっぴきならない理由があったに違いないと考えるのです。まあ、さすがにBさんがあまり誉められないようなことを繰り返しやっている、ということであれば「それはBがいけないね」ともなりますが。
逆にAさんに僕が「Bはこういうところが良いよね」と言ったときに、Aさんが「いやいやBにはこんな悪いところがあってね・・・」とすぐさま切り替えしてくるとちょっと寂しい気持ちになります。だって他人の良い所を見つけた時って嬉しくなりませんか?つまりこのときAさんはBさんを否定したと同時に僕の意見も否定したことになると思うんです。だから寂しいな、と思います。
僕はかつてとてもお世話になったある方から「他人は遠くから誉めろ」と教わりました。
自分に対する賞賛は直接聞くより遠回りで聞こえてきた方が真実味が増す。直接の賞賛は単なるお世辞の可能性もあるし、人はそのことを本能的に知っている。逆に悪口は遠回りで聞こえてくるほど気分が悪いものだから人の悪口は本人のいないところで言うな、と。
そう話した後、その人はポツリと「ところでSさんがお前のこと、最近芝居が良くなってきたって誉めてたぞ」と言ってくださいました。
それ以来、僕は他人を賞賛する発言をする場合はできるだけ本人のいないところでするようにしています。それが本人に伝わろうと伝わるまいとかまいません。他人のことを認められるってそれだけで自分自身が成長したようで気持ち良いですから。
また、僕も未熟な人間ですからついつい人の悪口を本人のいないところでこぼしてしまうことはあります。でも、うっかりそうしてしまった場合、なるべく急いで本人のところへ行き、できるだけやんわりと同じ内容を本人に伝えることにしています。「できるだけやんわりと」というのが僕の気の弱い部分なんですが(^-^;)
なるべくなら裏表の無い人間でありたい。単純といわれようと、みんなにデクノボーと呼ばれようと、ソウイフモノニワタシハナリタイ。
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